名島店のブログ

「THE GYPSY VIOLIN」

 

 

手元に

「THE GYPSY VIOLIN]

というタイトルのCDがあります。

もう随分と昔に買い求めたもので、しばらくは耳鳴りがするほど繰り返し飽きることなく聞いたものです。

今でも春になるとまた聞きたくなり、テレビを消して家事のBGMに活躍しています。

 

このCDで花形ヴァイオリニストを演じる、ジプシーヴァイオリンの名手、ラースロー・ベルキの「ひばり」は導入部は静かにスローテンポながら、しばらくするとひばりが声も高らかにさえずり始めます。

もちろん本物のひばりの鳴き声ではなく、ヴァイオリンで巧みにひばりのさえずりを再現しているのですが、私にとって、ひばりが空高く舞い上がりさえずるさまが目に浮かぶような、クラッシックでは聞いたことのない音は新鮮な驚きでした。

その他にも、ヴァイオリンの面白い技巧は「ホラの草笛」という曲にも使われ、哀愁をおびたヴァイオリンの音がゆっくりすべっていると思えば急にアップテンポに変わり、草笛がぴゅっと鳴り始めるのです。

そして、結んだと思えばまたすべりだし、くるりとターンして軽やかにステップを踏む・・・めまぐるしく変わる展開に酔っているうちにあっという間に演奏は終わってしまいます。

 

このようなヴァイオリンの技法、またヴァイオリンやチェロ、クラリネットの各パートの演奏がだんだん早くなり、最後は人間技とは思えないほどの高速でラストで一斉に締めくくるチェルダーシュなどは、クラッシックとは相容れない部分もあるのかもしれませんが、型にはまらず情感豊かに人生を奏でるジプシーヴァイオリンはとても魅力的です。

人生を奏でると書きましたが、私はジプシーヴァイオリンを聞くたびに、もっと深い彼らの、ジプシー…ロマの人生に対する哲学、生き様のような物さえ感じます。

 

 

日本ではあまり知られていませんが、ジプシー

(・・・以前、「耳に残るは君の歌声」「ショコラ」とジョニー・ディップがナイーブなロマの青年を二度も演じたので、ジプシーというよりロマと呼ぶほうがイメージがわく方もいるかもしれませんが。)

・・・に対する迫害はユダヤ人のそれと変わりないほど、凄まじいものだったそうです。そして今でも、ジプシーに対する民族差別は歴然と存在しています。

しかし、そんなバックグラウンドを抱える彼らの伝統音楽のどこにも、私はじめじめしたウェットなものを見ることがありません。

これは私の主観なので、そんなことないだろう、という方もいらっしゃるでしょう。

確かに、彼らのヴァイオリンの音には哀愁を感じます。その音色には長い時を町から町へ流れていく流浪の民の悲哀がこめられていると思います。

 

でも、じめじめしていない。何故か恨みがましくない。

 

泣いても笑っても1日は1日。おもいきり泣いた後は嫌なことはすっかり忘れて笑っていよう。

苦しみも、悲しみも、喜びも全部背中合わせ。それが人生、ラ・ヴィだもの。

 

底抜けに陽気でテンポの早い曲はもちろん、彼らのどんな哀愁をおびた楽器の音色も、私にはそう聞こえるのです。民族性の違いかもしれませんが、踏まれてもなお強くしなやかなそのたくましさに惹かれ憧れます。

・・・実は私はとてもウェットな人間です。小さな失敗をいつまでもくよくよと思い悩みます。

大好きな作家の遠藤周作が、かつてエッセイの中で語っていました。

「小さな失敗を思い悩み、夜中に羞恥心と後悔にさいなまれ布団の中でのたうちまわり、大声をあげた者でなければ我が友と呼ぶにあたわず・・・」

それならば私など、もう十分過ぎるほど遠藤周作の友たる資格ありです。そしてまた、私の大先輩がこうも言っていました。

「人は長生きすればするほど、恥をかきためているのだ」

と。

・・・なんだかだんだんウェットな方へウェットな方へと、話が流れていますね。いけませんね。

そう、こんな時こそ彼らにならって、湿った心を太陽にさらした木綿のようにぱりっと、そしてふんわりと膨らませなければ。

 

終わってしまえば星の瞬きほどの短い人生でも、泣いて笑って大騒ぎする私たち。

 

でも、大泣きしても、のたうちまわっても、ほとぼりがさめたら笑って前を向いていたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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